人間家族の進化:動物との比較から見えてくること

五百部裕

1.はじめに
  古来、人間と人間以外の動物を区別するさまざまな特徴が挙げられてきた。文化、知性、道具、肉食…。しかし人間以外の動物、とくに人間以外の霊長類の研究が進展するにつれ、こうした特徴の多くを彼らも共有していることが明らかになってきた。一方、こうした学問の進展によっても、いまだに人間にしか見られない特徴もある。その一つが「家族」である。
  テレビ番組などを見ていると、「動物の家族」といったコメントを聞くことがある。たしかに人間以外の動物にも、血縁関係に基づいた個体の集まりを認めることはできる。そしてこうした集まりを、広い意味で「家族」と捉えることは可能だろう。しかし厳密に言えば、家族という社会集団は人間にしか存在しない。
例えば人間の家族には、例外なく「社会的な父親」が存在する。人間以外の動物でも有性生殖をするのであれば、「生物学的な父親」は存在するだろう。しかし、社会的な父親がこうした動物に存在するかと言われれば、否と答えざるを得ない。そこで、社会的な父親が家族の中で果たす役割を考えるならば、人間に使うのと同じ意味で人間以外の動物に家族という語を用いることはできない。
  家族という社会集団が人間に普遍的に存在する一方で、さまざまな民族集団の中では、家族の形態や家族が社会の中で果たす役割は極めて多様である。そこには、それぞれの民族集団が持つ文化の影響が強く現れており、いきおい家族という話題は、人文・社会科学の文脈で語られることが多い。一方、家族の中での重要な働きの一つに、繁殖(子作り)という極めて生物学的な出来事がある。とすれば、家族の問題をこうした文脈の中だけで考えるのは少し狭い捉え方ではないだろうか。また、家族が人間に普遍的に見られる一方で、人間以外の動物に存在しないという事実を考えるならば、家族は人類進化のどこかの段階で獲得されたと考えることができるだろう。すると、進化というこれもまた極めて生物学的な文脈で、家族の問題を考えざるを得なくなる。少なくとも人間家族の起源や進化という問題は、生物学の知見を抜きにして考えることはできないのだ。
  では人間家族の進化を生物学的知見を利用して考えるとどのようになるか? ここで一つの重要な問題が生じる。一般に進化の問題を考える際には、「化石」が有力な情報を与えてくれる。しかし残念ながら「家族」の「化石」というものは存在しない。それではどのようにして「家族の進化」を考えたらよいのだろうか? そこで有力な手段となってくるのが、人間以外の動物との比較という方法だ。本論では、とくに「性的二型」というキーワードを用いて、人間家族の進化という問題をこうした視点から考えていきたい。

2.性的二型と繁殖システム
  性的二型とは、単純に言ってしまえば、雄と雌の間の体格や色の違いのことである。さすがに人間の場合には男女で皮膚の色が違うというようなことはないが、例えば鳥の仲間では、雄が鮮やかな色をしているのに対し、雌が地味な色をしているものがいる。このような雌雄の違いを性的二型と呼ぶ。では人間ではどうだろうか? 実は人間でも性的二型は認められる。例えば身長や体重の平均値は、一般的に男性の方が女性より大きい。
  実はさまざまな動物の研究から、この性的二型の度合いが、それぞれの動物種の雌雄が一生の間に残す子どもの数の差と密接なつながりがあることが明らかになっている。性的二型が大きい(雌雄の体格差が大きい)ほど、一生の間に残す子どもの数の雌雄差が大きくなっているのである。例えばゾウアザラシと呼ばれる海産の哺乳類では、雄の体重が雌よりも7倍ほど大きい。そして雄が一生の間に残す子どもの数の最大値は100頭程度なのに対して、雌の最大値は8頭程度である。一方、雌雄の体重がほとんど変わらないミツユビカモメという鳥では、一生の間に残す子どもの数の最大値も雌雄とも20数頭で、違いは見られない。
  こうした違いが生じる理由は、それぞれの動物種が持つ繁殖システムと関係している。ゾウアザラシは、1頭の雄が複数の雌と群れを作る、一夫多妻的な繁殖システムを持っている。一方ミツユビカモメは、雌雄1頭ずつからなる群れを作る、一夫一妻的な繁殖システムを持つ。一夫多妻的な繁殖システムでは、繁殖に関わることのできる雄の数は限られている。そこで雄間の競合関係が強くなる。そしてより大きな雄が、雄間の競争を勝ち抜くのに有利なため、雄だけが体格が大きくなるように進化してきたと考えられている。一方、一夫一妻的な繁殖システムでは、雄間の競合があまり強くないため、雄にこのような淘汰圧がかからず、その結果雌雄の体格差が生じないと考えられている。
  このように、性的二型の度合いと繁殖システムの間には密接な関係があるのだ。そしてこのような関係は、人間に近縁な霊長類の仲間でも認めることができる。例えばテナガザルは、一夫一妻的な群れを作り、雌雄の体格差はほとんどない。一方ゴリラは、雌雄の体重差が2倍以上あり、一夫多妻的な群れを作っている。このような関係は、生物の一員である人間にも当てはまると考えていいだろう。すると、人間の性的二型の度合いがわかれば、人間が本来持つ繁殖システムをある程度推測することができることになる。

3.人類の性的二型
  では人間の性的二型の度合いはどの程度なのだろうか? しかしこの問題を考える前にもう一つ考えておかねばならないことがある。それは人類の進化ということだ。現代人の性的二型の度合いは、調べればすぐにわかる。しかしそれでは「家族の進化」という問題は解決しない。家族の進化を性的二型の度合いから考えるためには、古い時代の人類の性的二型が問題になってくる。
  遺伝進化学の成果によれば、人間に最も近縁な現生の生物は、チンパンジーとピグミーチンパンジーの2種だとされている。そしてこの2種と人類の系統が分岐したのは、約500〜600万年前だと推定されている。すなわち、人類がこの地球上に登場したのは、この時代ということになる。ではもっとも古い人類は誰なのか? 少し前までは、アウストラロピテクスが最古の人類だと考えられていた。しかし1990年代の後半から、600〜300万年前の必ずしもアウストラロピテクスの仲間とはいえない、しかし人類だと考えられる化石がアフリカから相次いで見つかった。その結果、この時代の人類の系統に関しては、現在さまざまな分類体系が提案されており、アウストラロピテクス以外にも、最古の人類の候補者が考えられている。しかしここでは、議論が煩雑になるのでこうした違いを考慮せず、この時代の人類を一括して猿人と呼ぶことにする。
  では猿人の性的二型はどの程度だったのか? 実は今のところ、この時代の猿人の化石は断片的なものばかりで、性的二型の度合いがはっきりとわかるものは少ない。こうした限られた情報から判断すると、猿人の性的二型はかなり大きかったと考えられている。例えばケニアで見つかった化石では、男性の身長が約1.7メートル、女性の身長は1メートル強だと推測されている。すると性的二型の度合いは約2倍ということになり、ゴリラと同程度ということになる。この推測が正しいならば、猿人は一夫多妻的な繁殖システムを持っていたことになる。
  さて猿人に引き続いて登場したのが、約180〜20万年前に生きていた原人の仲間である。では原人の性的二型はどの程度だったのか? 原人では男性の身長が約1.8メートル、女性の身長が1.5メートルだったと推測されている。すなわち性的二型の度合いは約1.2倍と、猿人よりかなり小さくなっている。そこでこの段階では、繁殖システムが一夫多妻的なものから一夫一妻的なものに変わりつつあると考えられる。
  では現代人ではどうなっているか? 現代人では、平均すると男女の身長や体重の差は10パーセント程度である。すなわち原人よりもさらに性的二型の度合いは小さくなっている。
  このように人類は、猿人から現代人に向けて、性的二型が小さくなる方向に進化してきたのだ。とするならば、人類の繁殖システムは、一夫多妻的なものから一夫一妻的なものに変化してきたと考えられるだろう。繁殖システムと「家族」の形態は必ずしも一致するものではないが、家族の重要な働きの一つが繁殖であるとするならば、両者の間にまったく関係がないとは言えないだろう。性的二型という観点からは、一夫多妻的な集団が人間の家族の原型と考えられる。

4.おわりに
  人間に近縁な霊長類の仲間は、類人猿と総称されている。テナガザルやオランウータン、ゴリラ、チンパンジーなどがこの仲間だ。実はこの類人猿の系統では、ゴリラやオランウータンが一夫多妻的な繁殖システムを持っている。こうした事実を合わせて考えてみるならば、人類の系統も一夫多妻的な繁殖システムを出発点としたと考えることは、あながち的外れなものではないだろう。
  しかし「家族の進化」という点では、まだ大きな問題が残っている。例えば猿人がゴリラと似た社会集団を持っていたとしても、それが現在の「家族」と同じようなものかどうかは判断できないからだ。最初に述べたように、「家族」と認めるためには、社会的父親の存在など、別の条件も考えねばならないからだ。
  ではいつ頃「家族」は出現したのか? 現在のところ、それは原人段階なのではないかと私は考えている。猿人は私たちと同じように直立二足歩行をしていたと考えられているので、人類の仲間に入れられている。しかしさまざまな証拠から判断すると、彼らを「二足で歩くチンパンジー」と呼ぶのがふさわしい。彼らの脳の大きさは、チンパンジーと変わらず、言語も使っていなかったと考えられている。また複雑な道具使用や、頻繁に肉食していたと考えられる証拠も見つかっていない。「下半身」だけが人類で、行動様式は現生の類人猿と同じようなものだったのではないか。こうした連中が「家族」を持っていたとは考えにくい。
  一方、原人段階になると脳も現代人並みに大きくなる。また複雑な道具を使い、頻繁に肉食をし、かなり大きな集団を作って暮らしていたと考えられる証拠も見つかるようになる。言語が出現したのもこの段階だと考えられている。実は現代人に通じるさまざまな特徴を獲得したのが、この段階なのだ。多分家族もこうした変化とともに生まれてきたのではないだろうか。
  「家族の進化」という問題は、このように人間以外の動物との比較からある程度推測できるものなのだ。今後もっといろいろな証拠が出てくれば、この問題をさらに詳細に検討できるようになってくるだろう。

人間関係学研究, 椙山女学園大学人間関係学部: 43-46 (2002).


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