青森の「キリストの墓」の話題で必ず登場する「山根キク」(菊子)は私の祖母です

いわゆる超古代史モノは門外漢の私ですが、この手の話題=「と」(とんでも)の世界には祖母が登場するので、近親者として情報提供できればと思いました。
祖母の話を親族の中では直接一番多く聞いていたという父・克己(キクの三男)が亡くなって数年経ち、父から聞いた祖母の話も私自身はうろ覚えにすぎません。私の周辺に残る情報を残しておきます。また読者の方で情報をお持ちでしたら,お知らせくだされば幸いです.
            ※私はWikipediaの「山根キク」の項の作成には、まったく関与していません

女性運動著書竹内文献について竹内文献私見私の面目


●生い立ち

明治26年(1893)6月1日山口県萩の醤油造り屋の長女に生まれる.父猪之助の影響で三味線をたしなむ.父方は萩沖の櫃島,母は萩沖の大島出身.ちなみに山根家の先祖についてもいろいろ伝説がある(後醍醐天皇の隠岐から本土への上陸を手伝い,女官を妻に賜ったという.でも南朝,尼子,関ヶ原では西軍と常に負け側についた).

8歳の時,実母(ウメ)が死亡し,以来父は生きる気力をなくし,数年後に祖父母より先に病死する.

14歳の時,キリスト教に触れ,ひかれるが,祖父の猛反対にあう.修繕女学校卒業後,横浜の共立女子神学校に入学.しかし,卒業式(大正4年)での儀式中にイエスの生涯・復活への疑義を発して式を混乱さす.この疑問は後に竹内文献によってキクにとっては氷解する.封建的風土の萩には戻らず,上京して四谷と牛込に日曜学校を開設.キリスト教(プロテスタント)の伝道に従事.

男兄弟なしの長女であるため,大正9年2歳下の寺島某氏※と入夫結婚.四男をもうけるが,長州人と幕臣の家系とでは合うはずもなく,喧嘩をすれば幕臣が刀を抜き,長州が薙刀をかまえるというすさまじさ.やがて離婚して,4子とも引き取って育てる.この体験のためか,後に寡婦の窮状を打開するため,「日本婦人相愛会」の名のもとに派出婦会(家政婦紹介)を設立.

※某氏の父(鎌田造酒之助)は幕臣として,最後の函館五稜郭まで行って戦った.あの土方歳三とともに.私には幕臣の血も流れている.

「萬朝報」の婦人部長となる(右写真:キクだけが洋装,周囲の女性は皆和服であった).

そして宗教よりもまずは政治によって,実社会での女性の救済をすべきとの考えに到り,政治活動に転換.

その頃世情を動かしていた「普通選挙」運動そのものを男だけに選挙権を与える不平等として,「婦人参政同盟」に参加.また「婦人参政協会」を設立して,婦人参政権運動に加わる.「女性の時代」という月刊誌を発刊.革新倶楽部に入会.


女性運動参加記録:「日本女性運動資料集成」(1-3巻)不二出版より

女子参政協会を主催

1923(大12)
2 /17:婦人参政同盟の政談演説会(神田中央仏教会館)にて飛び入り演説「皆さま,お待ちなさい.私の言うことも聞いて,相携えて世論政治の第一線に入ろうじゃありませんか」
3 /31:夫婦で婦人参政問題演説会を牛込会館にて主催
7 / 2:日露婦人交驩会の発起人または賛成者の一人となる
11/10: 関東罹災者救護会として,「病者と失職の婦人の為に」震災被害者の救援活動

1924(大13)
4月:第一回総選挙にて,長野県の井手氏に応援演説の遊説.好評なるも落選.
6 /27:婦人参政同盟の理事に当選
12/ 6:婦人参政権獲得期成同盟創立委員となる
12/21:民衆公論社主催の擬国会(芝協調会館).「文部大臣」「拓植大臣」に.夫が議長.

1925(大14)
2 /14:婦人参政同盟第五回大演説会(築地同志会館)にて演説
4 / 4 : 同第六回大演説会(横浜市キリスト教青年会館)にて演説
5 / 6:着任したソ連のコップ大使を訪問
9 /27:同盟の大阪支部発会を兼ねた演説会(天王寺公会堂)にて演説
11/13:三男克己(一郎父)を出産
12/16:婦人参政同盟第八回演説会(神田中央仏教会館)にて演説

1926(大15)
3 /9:婦人参政同盟第九回演説会(芝協調会館)にて演説
3/22:議会に婦人案提出に応じて,ビラを配付用意するも警察の禁止によって不可
    婦人案(治安警察法改正案,婦人参政に関する建議案,市制町村制中改正法律案)

1927(昭2)
1/5:主催する日本婦人共愛会の四谷寺町の本部でクリスマス児童慰安会を開く(朝日新聞記事)
11/20:女子参政協会(山根菊子代表)は婦人参政同盟から脱会
このあたりのいきさつは不明.4人の子をかかえての離婚という最大の辛苦の時期でもある.

1928(昭3)
2/12:西岡竹次郎氏の選挙応援で演説(朝日新聞記事。掲載日)


昭和に入って,青森北津軽の小泊に滞在中,日本の悠久の歴史を感得(ちなみに小泊は徐福伝説や東日流外三郡誌とも無縁でない)。
そして政治運動から再び宗教への還帰が始まるのだが,戻る先はキリスト教ではなかった.

1935(昭10)
天津教の竹内巨麿氏及び「竹内文献」に出会い,長年のイエスの生涯についての疑問が氷解.この文献を信じた結果,ウルトラ天皇主義になる.青森戸来村(現:新郷村)の「キリストの墓」近辺を調査して,1937年にその存在を世に出す(地元ではさっそく観光資源としてアピール.現在に至る)

1943(昭18):長野県豊野に滞在中,不敬罪のかどで群馬県特高によって逮捕
当時は「太古研究会」代表.
婦人運動の同志(同罪逮捕)から,昭和天皇の出生にまつわる噂話を聞き,それを元海軍中尉に話したため.さらに,熱田神宮のご神体に関する噂,および伊勢神宮のご神体にある文字の噂(「世界の正史」に記述)を豊橋で数名に話したかど.
こんな噂話を私的に話しただけで不敬罪で逮捕されるのだから恐ろしい時代だった.

戦後は,東京一区から第一回普選に国民協同党から立候補するも,落選.新宿戸山町に居を構え,新宿区議を三期勤める.

1965(昭40) 4月23日狭心症発作のため,急死.享年71歳(写真は最晩年).

キクは孫の私にとっては優しかったが,直情的で男まさりの性格で,萩では「真西風(まじにし)」とあだ名されていたという.幼少よりの深遠なる真理へのあこがれと信念を貫く姿勢(親族とさえも妥協しない)はさすがだ,が….

top


著書

1.「光は東方より」(日本と世界社)昭和12(1937):「キリストの墓」探訪記

2.上の分冊版「キリストの巻」「釈迦の巻」(日本と世界社)昭和15(1940)

3.「天津祝詞ノ太祝詞事新解」(日本と世界社)昭和17(1942)

4.「キリストは日本で死んでいる」(平和世界社)昭和35(1958):「キリストの墓」再訪記

5.「世界の正史」(世界平和社)昭和39(1964):葺不合(ふきあえず)朝などの歴代天皇の系譜.(別窓に一部公開)

著書からわかるとおり,キクは「考古学・地質学」とは無縁.キクを「地質学者」と誤って紹介したのは,私の記憶では,かの寺山修司氏の旅行雑誌上の記事(キクはキリスト塚を発掘したわけではない).アカデミックな世界とは無縁です.あえて肩書きをつけるなら「民間研究家」かなぁ.

著書の最初の1-3は,電子復刻版「古史古伝」(八幡書店)にて入手可能(ただしWindowsのみ対応).4「キリストは日本で死んでいる」は「たま書房」より刊行中.5「世界の正史」は現在流通してない

※なお、キクの著作や写真については、すべて貴重なため、法人・個人を問わず、当方からの貸し出し・譲渡などは一切おことわりしています。また私はキクの著作権を継承してはいません。

top


竹内文献とは

竹内文献とは,いわゆる「竹内文書」(偽書とみなす側の表現)のことで、ウチでは仰々しくも「竹ノ内古文献」と称していた。
茨城県磯原の竹内家には 私の父(キク三男:克己)も子供の時、夏に遊びに行って、そこの秀才の息子に宿題を全部やってもらっていたという。そこで熱湯に手を入れる盟神探湯(くがたち)の行をやったという.また父も信州の戸隠神社にあった神代文字を読めたという.父は酒の席で「ヒフミヨイムナヤコト」の唄(歌詞は繰り返し,メロディも単純)を歌った.

キクはどうやらこの文献のみに頼っていたらしい。その全貌(戦災で消失)は知るよしもないが、なんでも今の太陽は7つ目だという(人類の祖先が今の地球に着いたのが7つ目の星だったのか??)。

キクの書で唯一現在も刊行されているのは「キリストは日本で死んでいる」(たま書房)であるが,孫ながら,ちゃちゃを入れずにおれない部分が多々ある.

キリスト伝から
帰化して八戸太郎天空(「八太郎」)/戸来太郎天空と名乗る
←太郎って2000年前らしくない名前,天空(てんくう)って漢字読みだし.もちろん漢字は日本が元だと強弁するだろうが.

弟子に金笠太郎坊・太平太郎坊 がいて,天空坊がのちに「天狗」となったという.
← あれ?,「坊」って修験道の表現でないかい? 

キリストのいた頃は日本にとっては超古代史であるが、ローマ帝国にとっては最盛期だ。当時ナザレの1聖人さえ日本が世界の最高権威と知っていたなら、漢やローマ帝国,パルチアなどがそのような日本に言及しないのはあまりに不自然。カエサルの帝国経営がなぜ日本に報告されないのか. と,むきになってもしょうがないか.

ただし想像をたくましくすれば、トルコ民族の数世紀に渡る大移動の例もあるように、ユダヤ人の逆方向の移動も可能だ(日ユ同祖論につながる.個人的にはこっちに興味)。特に青森は、亀ケ岡や三内丸山などの縄文時代から高度な文化が育っていた。漢帝国の視野外である、ウラル・アルタイルートでの交流は考えられる(オロチョン族経由?)。ヤマト朝廷にとって蝦夷と呼ばれていた東北地方は異人の地だった.青森県の特産が、何しろアダムとイブが楽園を追われたきっかけであるリンゴというのもイワクあり気だ(ついでにリンゴの第二の産地、長野も重要な地だ.戸隠、飯綱・善光寺、皆神山,諏訪・守屋山)。 そういえば青森を含む北東北って、偽書騒ぎが記憶に新しい「東日流外三郡誌」もあったな。何か壮大な妄想的物語が生まれる土壌があるのだろうか(「羽柴秀吉」っていう人もいるし). といっても日本を「文化伝播の川下」としか発想しないパターン化された思考こそ、祖母が意義を唱えたものだ。ユーラシアの文化は温帯低気圧のように偏西風に流されて東漸ばかりするわけではない。その逆の流れ(西漸)もありうる(トルコ、ブルガルなど)。縄文文化の環太平洋規模の伝播の仮説を読んだこともあるが、これは南米における神代文字の発見?とも関係あるのか(キクの本によれば,ボリビア山中で神代文字が発見されたという)。実際,1万年の歴史を誇る縄文文化は,世界でも最古に属する土器文化である.2001年6月に北海道で発見された漆塗りは,それまで最古とされた中国より更に数千年も古いという.漆塗りのことを英語で「japan」といわれるだけの面目だ.それに沖縄近海では,巨大な文明の遺跡らしきものが発見されている.日本は世界の末端であるという思い込み(込まされ)は不必要だ(同時に国内的にも東北地方を文化果つる地とみる偏見も問題)。

日本は世界の雛形なり
← 確かに私も前から,四国とオーストラリアって形が似てると思っていた.
更に続く私の対応関係(一部地球科学的対応)は以下の通り. ちょっと位置的に対応の無理もあるが,大陸移動説もあることだしそのへんは大目に.
瀬戸内海はインド洋または地中海(どっちだ?),九州=アフリカ+南アメリカ(もとは一体だったでしょ),ということは福岡=エジプト,中国地方=欧州,ならば長州=スペイン,関門海峡=ジブラルタル,日本海は大西洋,大阪=エルサレム,京都=バグダッド,紀伊半島=アラビア半島,ならメッカは奈良か飛鳥か高野か,東海地方=ペルシャ・パキスタン,伊豆半島=もちろんインド,丹沢山地=もちろんヒマラヤ,ということは秦野=カトマンズ,丹沢の最高峰蛭が岳はエベレストだぞ,大山は聖なるカイラス,伊豆大島=もちろんセイロン島あるいはインドネシア(苦しい),三浦半島=インドシナ半島,ということは横須賀=バンコクかサイゴン,甲信=シナ,房総半島=朝鮮・日本,横浜=香港(違和感ない),,東京=北京か上海,木更津=ソウル,館山=東京??,東北=ロシア・シベリア,ならば北陸が東欧か,金沢=ワルシャワ,新潟=モスクワ,北海道=北アメリカ(だって北海道は北アメリカプレート),日高山脈=ロッキー山脈 .

竹内文献を信じたい人は,ちきんとそれ(八幡書房から刊行)を読んでみること.高校程度の世界史の知識で読むとガクッと力が抜ける箇所があちこちに出てくる.たとえば,東京が1億年前から「とうきょう」と呼ばれていたという説があったら信じるか(恐竜が名づけた)? 辻褄が合うことが命の「お話」は辻褄の破綻は致命的.小学校程度の知識なら信じることができるかも.作者にも世界史の知識がほしかった(古生物学の知識は期待しません).

top


竹内文献私見

竹内文献は,荒唐無稽すぎて,その思想的危険性さえ忘れられがちな書であるが,まずはその点をきちんと吟味する必要がある.私見では,日本の軍部が大陸進出の野望をもっている丁度その頃に,天皇が日本に君臨する論理(+儒教的家父長論理)そのままで世界統治を正当化する「神話」の提供として,希代の大ボラ吹きによって,創作されたものである(戦前の日本人の倫理感そのまま).東条英機なんかも竹内家を訪れていたという.でもさすがに竹内文献の論理は軍部も使えなかった.むしろ天皇家の系譜を荒唐無稽化するとして,政府から危険思想とみなされ弾圧された.

その大ボラ(悪意のない嘘)吹きは,キクからのキリストの疑問に,辻褄合わせのストーリーを作って回答したとうかがわれる(疑問内容を詳しく聞けば,辻褄合わせの回答がしやすくなる.「顕示性性格者」のホラとはそういうもの).ちなみにホラを吹くことは,性格的行動習慣であるため,その人の人格の一部として認めるしかない.そのような性格傾向の人が存在することをまずは理解しよう.だから,そんなホラ(非現実だが辻褄は合っている)を信じる人の頭の方が純朴すぎるのだ(現実を多元的に評価せずに単線的な論理=辻褄を信じるタイプ,しかも信じられるからではなく,信じたいから信じてしまう).

しかし素朴な当時の国民レベルでは,「五族協和・大東亜共栄圏」という言葉が,欧米の植民地主義から亜細亜を解放するスローガンとして支持されたように,竹内文献の神話論理もキクにとっては,世界の民族・宗教対立の無意味さを「論証」できる天啓の書にうつった.キクはイエスの生涯の記述に根本的疑問を抱いたという点では,かの聖書を批判的に読める距離感をもっていた.しかし同じ態度で竹内文献に接することができなかった.世界平和を願う心があまりに素朴で強かったため,学的批判の目が閉じてしまったといえる(「発掘された」考古学的資料を盲信してはならないということは,今の日本人なら肝に銘じているはず)
私自身は竹内文献の世界観にはまったく興味がないが(ワタシ的には,ユダヤの失われた支族が青森にやって来たという話にした方が面白い,そうすればキクの傍証も活きてくる),キクという,現実界で辛苦を重ねた明治女性がどのようにその夢想の世界に心を奪われていったか,個人の精神史には関心がある.

参考
長峯波山「竹内巨麿伝」八幡書店

top


信じる人と信じさせる人

私がキクと竹内文献との関係を醒めた目で見れるのには理由がある.
実は私の母方に,若いとき精神分裂病にかかった女性がいた.親族の間でも困った存在だった.そして中年になって,明確な妄想を持ちはじめ,「われは神であるぞよ」と言いだした.親族の間では更に困った存在となったが,本人は堂々と予言などをするようになった.すると,なんと,信者がついたのである(もちろん普通の人たち).予言が当ったためか,信者も増え,寄進も増えて,親族の中で一番裕福な暮しとなった(私もその広い家に遊びに行った).数年前亡くなったが,葬儀は信者達が丁重に行なったという.
信じさせる人は特異な人格で,信じる人は素朴な健常者というわけだ.


キクの孫としての私の面目

キクは竹内文献を正当化することに後半生を費やしたが,私だったら竹内文献のようなものを作る側に立つね.その片りんを紹介しよう.

1.小学校5・6年の時,独自の文字を作る.
表音文字を独自に考案した(神代文字と同じ構造). 「他者には絶対伝えてはならぬ」という自らの掟により,所望した父にも伝授を拒否.この掟は今でも守られている(それゆえ非公開). 実用として,誰にも読まれたくない思春期の日記に使用した. この文字が数千年後「発見」されたら世間はなんというだろう(でも日記が解読されたら恥ずかしい)


2.ついに国家として独立し(10歳離れた弟を加え国民2人.ただし日本国政府には内緒),諸制度をつくる. 私自身は皇帝を名乗る. 日本国とは別個の文字(上の文字),貨幣・財産制度を制定. 独自言語の開発も試みるが失敗.やむなく公用語に日本語を採用. 暗号として使える文字と違って,言語には話す相手が必要だとわかった.


3.ついで,架空の大陸の歴史を作る .
上の話とは無関係.小学5年の時肺炎で学校を一週間休んでいる間にひらめいて,作っていった.当時自分が描いていたマンガのキャラクターたちの祖先の歴史を作ったつもり. ここでは固有名称は紹介せず,アルファベット記号とする(私の秘密主義).

1:統一帝国時代:大帝(カエルの形)の大陸統一により歴史時代始まる. 漠然とローマ帝国をイメージ

2:大移民時代 :大陸外から異種(ぶよぶよの形)が西部辺境地帯に大挙流入.
独自国家を建設.その強大化で旧来の帝国が弱体化.ゲルマン人移動をイメージ.

3:三国鼎立時代: 旧帝国A(カエル系),帝国支配から脱したB(ヤセホソ系),移民国家C(ブヨブヨ系)の力の均衡による鼎立. ただし当時中国の「三国時代」は知らなかった.

4:奴隷時代 :鼎立時代によって独立国B領内のA側国境地帯に(AとBとの)混血民族D(頭がカエルで胴がヤセホソ)が誕生するも,当時強大化しつつあったBに奴隷化される. アメリカの黒人奴隷をイメージ.

5:混血国家Dの独立戦争 :Aの支援を受けて独立するも,独立を認めないBとの紛争激化. 当地から離れたCは紛争には関与しないが独立は承認.
Dは事実上独立は勝ち取るが,大陸唯一の紛争地帯となる.
明らかにパレスチナ紛争をイメージ.B軍はナチス型のヘルメット.

Aと Bは永遠のライバルで,かつてAがBを支配していたこともあったが,今ではBの方が統治面積が大きい.Cは傍観者・中立で漁夫の利を得ようとする,弱小のDはAB対立の犠牲者,という構造.

どうだ,まるで竹内文献でないか.大陸内の都市・支配者名など全部自分で考えたんだ.

top

山根一郎の世界へ