それって敬語?

敬語だと思っている(教えられた)けど、実は敬語として、つまり日本語の構造上敬語としておかしい表現がけっこうまかり通っている。敬語の存在そのものを問い直す必要も本来はあるが、それはおいといて、よくある誤りを紹介する。


1.「見える」をよそで使うと

名古屋に来て初めて知ったが、この地方では「見える」を「いる」の尊敬語として使っている。
「先生見えますか?」と聞かれて、私に何が見えればいいのか戸惑った。だから名古屋周辺の人に言っておくが、「見える」を「いる」の尊敬語として使うのは全国区ではないということは知ってほしい。
「いる」の尊敬表現は「いらっしゃる」(ちなみに謙譲表現は「おる」)。「見える」は普通は、見るの可能表現(「目が見える」)であり、見るの尊敬表現は「ご覧になる」。「お見えになる」という尊敬表現もあるが、その場合は「現れる」の意味だ。だから「先生が見えた」という表現は、「先生が現れた(来た)」の尊敬表現としてならなんとか通用する。でも「先生がいた」という意味としては通用しにくい。
だから「きのう、先生見えたよ」という表現は、「きのう、先生はいたよ」ではなく、「きのう、先生が来たよ」という意味としてなら通じる。


2.「できかねます」は失礼

「〜かねる」は「〜ない」の婉曲表現であって、どうころんでも敬語ではない! これをビジネス敬語だと教える日本語知らずの日本人がいるらしい。「できかねる」は「できない」のつまり「ない」という否定表現を避けて言い換えた婉曲表現にすぎない。 これを敬語化すれば自分が主語だから「する」の謙譲語を使って「いたしかねる」となる。つまり「かねる」の部分は敬語化する前と変化していない点が、「かねる」が敬語でない動かぬ証拠。
読者の指摘により追加:より正確には、「かねる」はそれ自体で不可能すなわち「できない」の意味である。なので「できかねる」は「できできない」となってしまい、作法以前に重言という文法的誤用になる。「する」+「かねる」=「しかねる」なら文法的にOK。(指摘してくれた読者に感謝)

婉曲表現というのは、普通は、後ろめたさ・言いにくさの気持ちを伝えるメッセージであり、必ずしも敬意はこめられない。たとえば「死ぬ」を「亡くなる」というのも婉曲表現(だから「身内が亡くなった」と言ってよい。尊敬表現は「お亡くなりになる」)。さらに、「できません」のかわりに「できかねます」あるいは「いたしかねます」と言われても、否定形が肯定形に変化しただけで、後ろめたさの気持ちが表現されず、無愛想な印象は消えない。ということは断ることへの「後ろめたい・申し訳ない」という気持ちがそもそも「かねる」には存在していないのだ。むしろ「ハナからやる気がない」というメッセージさえ伝わる。結局、ただ「できません」と言っているのと(気持ちにおいても)差がない。つまり「できない」と「できかねる」とは全く等価であり、言い換える必要がないのだ。
真に後ろめたいなら、「申し訳ありません」という気持ちを直接表現した言葉を付け加えるべき。敬語が敬意の表現であるように、言葉というのはなぁ、気持ちを表現するものなんだよ! 
そして「できない」というよりも「難しい、無理」という方が「やりたくても…」という誠意が表現される。だから「ない」正しいの婉曲表現は「難しい・無理」になる。つまり顧客に対する誠意が表現されてこそ、真の敬意の表現となるのだ。客の要求を断るということは、客の心を傷つけ、客を失うリスクを背負うのだ。そのリスクを怖れる心をもつべし。
以下の会話から、お願いした側の印象をくらべてみよう。

1.「お願いしますよ」 「できかねます」
2.「お願いしますよ」  「いたしかねます」
3.「お願いしますよ」 「申し訳ありません。無理なんですよ」

最後に作法ではないが、顧客などに無理な要求をされて断る場合、どういう表現がいいか。といってもその場で断るのではなく、間をおいて次回にダメだったといえば、(その間何もしなくても)誠意が表現される。営業は顧客の(個人的)信頼を失ってはならない。

「申し訳ありません。ネバッてみた(いろいろ当たってみた)のですがダメでした。」

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