伊豆木 (飯田市)

長巨―長泰―長輝―長孝―長熈―長著―長計―長厚―長裕
小笠原長巨小笠原屋敷・資料館興徳寺伊豆木八幡宮
2004年11月、2005年2月
惣領家ではないが、同じ飯田の地で礼法がきちんと伝わっている分家があるのでここに紹介する 。

松尾の小笠原信嶺が家康の命令で本庄に移封後(→本庄)、飯田から小笠原家の灯火が消えた。しかし信嶺の弟長巨(ながなお)本庄からここ飯田の地に戻ってきた。

小笠原長巨

長巨は傍系でありながら、惣領家からも「糾方的受之人」(笠系)と認められていた。実はこの時代、惣領家が存亡の危機だっただけに、糾方的伝の一子相伝をやめ、才能のある分家にも伝えたという。長巨はその一人であり、そのため彼の子孫にも礼法が伝わっていく。
たとえば、1590(天正18)年、惣領家の秀政(19)が、豊臣秀吉の仲介で、徳川家康の長男・信康の娘徳(登久)姫を娶る時、長巨の妻が介添役を勤めた。それを機に、長巨は松本に通って秀政からの糾法の質問に答えたという(秀政年譜)。

長巨は一旦は兄信嶺とともに本庄に移るが、1600(慶長5)年、旗本格千石取りで伊豆木(現在飯田市の南部、三穂地区)の地(写真)に着任した。
長臣はまた当時の播磨明石城主の忠真20,秀政次男)に招かれ、城内に小笠原流弓術の矢場を作った。その後も伊豆木系の男子の多くが小倉惣領家の家臣となった。
長臣はこのように、戦国時代に混乱した小笠原流礼法にとって貴重な存在となった。後、隠居して「以鉄」と号し、飯田近在における礼法の顧問的存在となったという(下伊那史)。

その伊豆木小笠原氏の居館が現在も「小笠原屋敷」として残っている。長巨系の伊豆木小笠原氏は、明治までこの屋敷に居た。
このような理由で、伊豆木小笠原は小さいながらも小笠原流礼法を守った家系であり、室町から明治までの数々の礼書を残している(小笠原資料館所蔵)。なので伊豆木は小笠原氏の歴史の表舞台には華々しく登場はしないが、小笠原流礼法の旅としては絶対に外せない場所である。

伊豆木へは飯田の市街地から県道491号を南に行く。湯元久米川温泉(伊豆木の旅で泊るならここがいい)を過ぎ、正面彼方に秋葉街道の偉峰熊伏山(1653m)が見えてくると、右手に風情のある和風建築、左手に砂利敷の駐車場が現われる。ここが伊豆木。
あらかじめ飯田市内で伊豆木を含む「三穂」地区の観光案内図を入手しておくといい(下の資料館内でも可)。

小笠原屋敷・資料館

伊豆木でまず訪れるべきなのが小笠原屋敷。さきの駐車場がここの専用。そこから、徒歩で右に折れてミニ城下町風情の集落内を進むと、右手の高台に半分はみ出た(清水の舞台状の)武家屋敷が見えてくる(写真)。それが小笠原屋敷。高台にあるせいか、小さな城の雰囲気で、そこめざして”登城”する。 小笠原屋敷自体が「旧小笠原書院」の名で国の重要文化財であり、有料で屋敷内の見学ができる。

屋敷の敷地内には、あまりに対照的な現代建築の市営の小笠原資料館が隣接している。資料館には展示物のほかに小笠原家から寄贈された礼法・弓法関係の古文書も多数所蔵されている。ただしそれらを閲覧するには、市教育委員会に事前に申し込む。

資料館の展示物もさることながら、受付け・管理をしている郷土史家久保田安正氏の郷土についてのわかりやすい著作群もたいへん参考になる(資料館で販売)。氏の著作『伊那谷にこんなことが』(南信州新聞社)から本サイトでもいくつか引用させてもらっている(「久保田」)。 さらに小笠原屋敷と伊豆木小笠原氏に絞った伝説集である同氏の『小笠原屋敷ものがたり』(南信州新聞社)もおすすめ。

秘伝を学ぶ際の起請文

資料館の展示物の中で、礼法を学ぶ者にとって最も重要なのはこの起請文。
これは小笠原流礼法の礼書を外部の者が閲覧する際に用いた誓書である。
弓法躾判紙 
一、御相伝之儀疎略存間敷事 (御相伝の儀、粗略に存じまじき事)
一、失念之節私之儀仕間敷事 (失念の節は私の儀仕うまじき事)
一、他流誹間敷事 (他流を誹(そし)るまじき事)
一、無御免大事他伝申間敷事 (御免なく大事他に伝え申すまじき事)
一、自余之儀雑間敷事 (自ら余の儀、雑(ま)ぜるまじき事)

これは世代を重ねて合理的に考え抜かれてきた「小笠原流礼法」に、勝手なノイズを入れない、すなわち聞きかじった者が勝手に自己流「小笠原流礼法」を名乗らせないためにとられた措置である。伊豆木小笠原氏は山村の旗本格ながら、正当な小笠原流礼法を伝承しているという自負と責任感がうかがえる。 この起請文は現代に小笠原流礼法を学ぶ人にも共有してほしい。

興徳寺

伊豆木小笠原家の菩提寺。正門から入るには駐車場に戻る必要があるが、資料館の裏手から、この寺の上にある墓地に行ける。そこには小笠原長巨らの墓がある(写真)。長巨の埋葬地は写真右の松の木が墓標となっている。小さいが風情のある山門を降りると駐車場に出る。
伊豆木小笠原が創建した真照庵も同地区内にある。

伊豆木八幡宮

長巨が飯田の鳩嶺八幡から勧進したという伊豆木小笠原の守護神。もちろん源氏一族の小笠原氏の氏神が武の神八幡神だから。屋敷からちょっと離れた所にある。
本殿は石段の上の高台にあり、格式を感じさせる(写真)。

小さな山里伊豆木は、南アルプス(赤石山脈)の盟主赤石岳(3120m)を望む風光明媚な地で、旗本格ながら小笠原氏の居館・古文書・菩提寺・氏神社すべてがきちんと現存している夢のような「小笠原の郷(さと)」である(ただし小笠原家は東京に移住)。

伊豆木から細い道路で背後の水晶山を超えると、伊那谷の民俗文化のテーマパーク”伊那谷道中”(温泉つき)がある。ここで一休みしても、中央道園原インターは近い。

参考文献
『下伊那史』:この地域のいわゆる市町村史。これが基本資料。
久保田;久保田安正『伊那谷にこんなことが』 南信州新聞社
家譜:『勝山小笠原家譜 』
『秀政年譜』:小倉小笠原家の『笠系大系』の一部

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