越前勝山 (福井県勝山市)

貞信―信辰―信成―信胤―信房―長教―長貴―長守
開善寺板甚勝山城博物館市立図書館恐竜博物館平泉寺など
2005年9月

越前勝山は、北陸道から内陸に入った白山山系の麓にある奥まった所。隣の大野と同じく、山の中にポツンと小藩があるという感じ。1691(元禄4)年、この地に松尾小笠原氏が、美濃高須を経て、貞信の代にやってきた。石高は22777石(消費税がついたような端数)だが、幕末まで居たので約200年間は小笠原が殿様の地だった。

松尾系小笠原氏は信州時代に深志系と惣領職を争い、互いに伝書を奪い合ったのだが、家譜(系図)類はこちらが保持して渡さなかった。その中には足利尊氏から貞宗(7)に宛てた御教書など貴重な歴史資料もある(現在は東京大学史料編纂所所蔵)。深志小笠原のライバルとしての意地・自負を通していたわけだ。

このように惣領家と家伝の礼書を奪い合ったせいか、松尾時代の当主定基も礼法の達者だった(→伊賀良・松尾城)というから、この家系にも礼法が伝わっていったことがわかる。
たとえば、初代勝山藩主貞信は服喪の規定を作り、2代藩主信辰は『万躾の次第』、『万請取の次第』を作ったという(勝山)。
明治以降は子爵家として上京したため、現在はこの地に小笠原氏の息吹はない。主の不在の影響をもろに受けているのが開善寺。

畳秀山開善寺

松尾小笠原氏は本庄移封に伴いその地に開善寺を創建した。その後は、転封に伴い開善寺も転居。だからここの開善寺も前任地の美濃高須から移ってきたという(逆にいえば、なぜ本庄の開善寺だけがその地に残ったのだろう)。
2階建ての山門が控える寺の入口には、「勝山小笠原の菩提寺」という案内板がある。しかし境内に足を踏み入れると、本堂も庭も荒れ果て、無人の風情。本堂右手の庫裡らしき横を抜けて、裏の墓地にいけば、貞信から長守までの小笠原代々藩主の墓があり、解説板もある。薄暗い中で写真を撮っていたら、ヤブ蚊の襲撃を受けた。

参道から山門
本堂
小笠原氏墓所

板甚

旧市街にある小笠原の「殿様料理」を出す割烹旅館。
6代当主小笠原長教公一行が城下の大庄屋に立寄った際にもてなされた料理を、寛政年間の古文書「殿様御立寄一件留帳」より再現したものという。
オリジナルは25種類を朝から夜まで供されたというが、ここではそれを18品にまとめたという。

体験するには予約が必要。本当は2名以上からだが、1名で無理にお願いしたら主人は対応してくれた。

さて当日、殿様気分の個室に案内され、器に盛られた料理を次々と賞味する(写真:これで全部ではない)。ただ、飯の位置づけなど本来の本膳料理形式でなく、酒客用の懐石風になっていたのが残念。それゆえ、こっちも作法通りに食べる姿を教材用にしようとビデオカメラを回したのだが、使えなかった。
もちろん宿泊もできる(どちらかというと民宿的雰囲気)。
小笠原流にちなんだ料理があるのは、ここの他には北九州市の「小倉城庭園博物館(小笠原会館)」があるのみ。

勝山城博物館

1708(宝永5)年二代目藩主信辰は「城主」の地位を回復し、城の再建としての築城を命じられる(勝山)。といっても元々2万石の小藩で、その上財政難もあったため、遅々として進まず、なんと120年後の長貴の代になってやっっと完成。場所は現在の勝山市役所付近であったが、今は跡形もない。
その代わりなのか、最近になって別個に観光用に作られたのがこの勝山城博物館。やたら立派な天守閣で、ある意味小笠原の殿様たちの長年の夢を実現した感じ。中は歴史博物館になっており、当然勝山小笠原氏の歴史も学べる。 最上階からの田園風景がいい(写真)。

勝山市立図書館

でもきちんと歴史を学びたいのなら、閲覧資料のあるこちらへ。城址である市役所の向い側にある。
いわゆる通常の「市史」よりも、『図説勝山市史』の4章「小笠原氏とその故地」が、小笠原家の歴史全体を山梨明野からの史跡の鮮明な写真を載せて分かりやすく解説している。この部分を小笠原氏の歴史入門の最適書として推薦したい(もちろん勝山小笠原氏が中心となるが)。 本サイトでも、松尾小笠原氏の本庄から勝山までについてはこの書の記述を引用した(「勝山」と表示してある)。

また勝山市は”礼法の小笠原氏の地元”というアイデンティティをもっているようで(小笠原氏はわれらが殿様という意識があるのだろう)、図書館では作法書を積極的に購入し、作法講座なども開催していくという。こういう自治体が増えてほしいものだ。このような地元意識をもっているのは、ここ福井県勝山市の他には、山梨県南アルプス市があり、福岡県北九州市の小倉城庭園博物館も市全体レベルではないが頑張っている。
一方惣領家とかなり深いつながりのあった長野県松本市や飯田市、あるいは福島県会津若松市・茨城県古河市にはそのような動きがみられないのは残念。

県立恐竜博物館

小笠原氏とは無関係だが、勝山に来たなら、ここは見逃せない。この付近は古い地層があって恐竜の化石が(日本一)多く出るらしい。建物内部にすごい金を使ってあり、化石の展示よりも、恐竜世界に入り込むエリアが遊園地的で楽しい。 自分の体験ではこれに匹敵するのは北九州市の「自然史・歴史博物館」。つまり、松尾(勝山)と深志(小倉)のライバル関係は、今では恐竜博物館を舞台に引き継がれている感じだ。

平泉寺など

勝山市第一の名所史跡といえば平泉寺(白山神社)だろう。白山信仰のメッカだったここへの参詣ルート上に勝山があったから、大きな街道から外れていたとはいえ、それなりに往来はにぎやかだったかもしれない。参道の緑が神聖な雰囲気を与える(写真)。あと市内には、最近のものだが、個人の私財で造られたという「越前大仏」も目を引く。

せっかくなので、市外だが、永平寺一乗谷朝倉氏遺跡にも足を伸ばすといい。 永平寺は道元禅師の永平清規(大艦清規より100年前)が実践されている場だし、朝倉氏遺跡は小笠原氏と同時期の中世武家の生活(写真)がわかる。

平泉寺参道
朝倉氏遺跡の復元住居

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