八甲田山雨中行軍・キリストは新郷で死んでいる?

キリストの墓キリスト祭キリスト伝説の本質

2001.6

青森キリストの墓の旅

私の祖母山根キク(菊子)は,昭和12年に「光は東方より」という書で,かのイエス・キリストの墓が青森県戸来(へらい.現,新郷村)にあると公表した.この書は翌年に発禁となった(キクは皇統研究をしたかどで不敬罪で逮捕.竹内文献も没収)が,墓とされた地元ではおおいに喜び,大々的に観光名所としてアピールした.戦後,再びこの地を訪れ,前書を改訂した「キリストは日本で死んでいる」を著した(現在は,たま書房から刊行).この説の根拠とされたのは,トンデモ本の古典「竹内文献」(後述)だけに,荒唐無稽な珍説にすぎないが,祖母は,現地を丹念に調査して,傍証を採取しようとした(もちろん,思い込み的傍証ともいえるが).

’キリストの墓’は今でも新郷村の貴重な観光資源となっているらしい.6月第一日曜に「キリスト祭」が行なわれ,「ナニャドラヤ」という歌詞(古代ヘブライ語との説あり)の踊りが披露されるという.どうせ行くならその時だ.そういうわけで,父の死後にわかに先祖の足跡に関心をもった私は,その時期をねらって青森に飛んだ.

1.三内丸山遺跡

青森までの行きは飛行機,青森県内の移動はレンタカー,帰りは特急・新幹線という,多彩な交通手段を満喫した.
JAS(日本エアシステム)の名古屋発青森行きは,6月の平日にもかかわらず満席だった.インターネットでの予約時に座席は通路側でOKにしたが,乗ってみたら,右に富士と中央・南アルプス,左には白山や佐渡が島と展開する風景.中部地方を縦断する空路は絶対窓際にすべきと肝に銘じた.
70分ほどの短い空の旅が終わり,降車口から出口に向かって,空港内の細い通路をぞろぞろ歩いていると,遠路はるばるの旅をしているんだという実感がわいてくる(電車や車では味わえない感覚だ).外に出ると,渓筋に残雪を残す八甲田山へ向かって強い風.
送迎車でレンタカー店へ行き,1000円(/日)でカーナビを取り付けてもらった.最初の行き先「三内丸山」を登録する.MDを持参したアダプター経由でカーステレオにつなげる.青森ドライブのBGMは吉田兄弟の津軽三味線!(彼らは北海道生まれだけど)
 カーナビのおかげで迷うことなく三内丸山遺跡に到着.復元建物とドームで覆われた遺構が並ぶ(写真).直径2mの栗の柱が6本使われた建物は何のためなのか不明だという.こういうのはたいてい「祭祀の場」だと解釈されるが,ワタシ的には,縄文人をワンパターン的に呪術崇拝者とみなす発想には不満.彼らなりに日常を合理的に生活していこうとしたと考えてみてはどうか.埋葬跡は墓の印として盛り土で復元していた.墓の基本は「盛り土」らしい.ここで「縄文ラーメン」(肉がイノシシ)を昼食の代わり食べる.三内丸山遺跡は,思っていたほど情報量は多くないので,記念に一回行けば充分だろう.


2.八甲田山

 さあ次は八甲田山を越える.八甲田といえば,明治35年1月下旬に起きた世界最大の山岳遭難(199名の死者)を出した山だ(新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」,それを映画化した東宝映画「八甲田山」が詳しい).青森バイパスで,八甲田方面に右折すると,幸畑(こうはた)という山麓に彼らの墓所がある.毎年記念祭は行なわれているというが,それ以外の時は花を手向ける人もいなく(何しろ先祖代々の墓ではなく個人の墓だから直接の親族・知人がいなくなると,縁遠くなるのも仕方がない).手向ける花の代わりに,自生の白い花が群落となって,半分花畑と化している(写真).隣に民家風の遭難資料館がある.200円払って入ると,遭難者全員の遺影があり,凍傷で切り落とした手足(の先)の写真が生々しい.
 幸畑を後にして田茂木野,小峠,大峠と,まさに青森五連隊の行軍ルートをたどる(車でだけど).そして馬立場に達すれば,今はドライブインがある平地の奥に,遭難碑の銅像が建っている.ドライブインにも遭難記念館(200円)があるが,内容は下の資料館と同じ,むしろ売店に置いてある書籍の方が資料的価値がある(ちなみに店頭で五平餅を売っていた.五平餅っててっきり中部地方の特産だと思っていた)
ここからは本日の宿である酸ケ湯は右折するのだが,時間もあることだし,左折して大量遭難の現場である田代方面に車を走らせる.田代の平原にさしかかるとついに驟雨(しゅうう)となり,これが冬の1月だったら目印の何もない平原での猛吹雪というわけだ.戻って,八甲田ロープウエイは悪天のため寄らず,酸ケ湯に向かう.

3.酸ケ湯:つげ義春的温泉

まだ付近に残雪がある酸ケ湯温泉は,立ち寄り湯もやっている.年代と威厳を備えた木造の棟が並んだ,いかにも本格的な「東北の温泉場」風情だ.建物の造りはしっかりしていて,廊下を歩いてもきしむ音がしない.
伝統的湯治場だから混浴の大浴場.といっても,女性専用タイム以外は男だけがわが物顔.観光地というよりは山奥の湯治場であるだけに,女性といっても白髪の湯治客と登山の中高年ばかり.浴室は,年季の入った黒ずんだ総ヒバ造りで,天井が高く,窓は無く,陰気な薄明かりが,つげ義春の「ゲンセンカン」の浴室をほうふつとさせる.湯も白濁しているし,ホントに100%日本の温泉!って感じ.宿のマッチ箱には,「国民温泉」と書いてあった.これもつげ義春のマンガ(「ヨシボーの犯罪」)にあった.
部屋は下宿の6畳という雰囲気.独特の臭いがする.空の冷蔵庫とガス台があるのは自炊客のため.でも水道・トイレは廊下の外で共用.心配していたトイレは洋式でしかも保温してあり,意外と清潔だった.体の弱い湯治客を配慮しているのだろう.
夕食は食堂で.湯治場であるだけに,一人客が多く,安心する.テーブルもヒバのしっかりした造り.1泊9000円にしては豪華.ビールはドライの大瓶のみ.朝食はビュッフェ形式.野菜山菜類が主で,生卵は無理に食べないで済むのがうれしい.牛乳,野菜ジュース,アップルジュースも自由に飲める.
私には小さすぎた浴衣姿を見た,色白で悲しげな顔をした従業員(つげ義春のマンガか寺山修司の映画に出てきそう)が,あまりに哀れな姿と部屋に特大の浴衣を届けにきてくれた.

4.奥入瀬から十和田湖

翌日は十和田湖を越えて,いよいよキリストの里だ.八甲田の南麓を快走する.途中,ミズバショウが咲き頃で,八甲田の高田大岳がよくみえる湿原に立ちよる.更にブナの自然林の中を快走して,蔦温泉で車を停め,蔦池を散策.東北ののびやかな山(「森」という)のくぼみの池も自然100%の美しさ.
奥入瀬渓流に沿って十和田湖に向かう.奥入瀬はホントに観光写真通りの風景で,浅い川が時には激しく,時にはおだやかに道路に沿って流れている.車では素通りしてしまってもったいない所で,自転車が一番だ(歩くには長すぎ).
山中の渓谷道から急に目の前が開けるとそこは十和田湖.祖母が「海か」と疑った巨大な山上のカルデラ湖.せっかくだから車で湖を北回りで一周する.最高部の御鼻部山の展望台からは,キリストの埋葬地といわれる戸来岳・十和利山が見える.湖の北西面で秋田県に入り,湖畔の銀山(位置不明)からは今度は弘前31連隊(5連隊の八甲田遭難時に,遭難せずに八甲田を踏破した部隊.この両部隊の対比がポイント)の足跡をたどることになる.有名な裸婦像のある休屋で再び青森県に入り休み,秋田名物稲庭うどんを食べる.裸婦像の所に行こうとしたら,また雨が強くなる.31連隊が投宿した 宇樽部(うたるべ)からは,いよいよ出た「キリストの里」の看板を合図に,湖畔から離れて,新郷村(旧戸来村)に向かう.

新郷村の入り口は,眉(迷)が平(現地ではマユガタイと発音)という山上の平地で,祖母が「エデンの園だ」と感動した場所(右写真).でも今は,ドライブインがあり,車のエンジンの園.山菜取りの基地になっているらしい.つられて車を停めれば,十和利山の登り口があり,そこに鳥居が建っている.奥には社殿はないので,十和利山そのものが神体のようだ.店に入ると,なんと「キリストもち」なる代物が墨の上に櫛にささっている(左写真).60年の歴史だというから,「光は東方より」の頃からだ.丸い餅状で,味噌だれの麦80円,蕎麦90円だと.キリストにしては安いものだ.

5.キリストの墓

そこから車でどんどん下って,集落となり,大石神ピラミッドへの道を分けると,まもなくキリストの里公園.ちゃんと駐車場もある.車を降りて緩い坂を登ると,ここの地主でキリスト塚の墓守の家系である沢口家の墓所がある.墓石の紋章はダビデの紋章に似ている.その上の階段を上がると2つの盛り土がある.ここある2つの盛り土は,昔から埋葬者不明ながら存在を知られていて,「墓所館」(ぼしょやかた)と言われていた.地主である沢口家が代々「殿様の墓を守れ」と言われてきたという.それをキリストの墓,十来塚(写真奥)と,弟イスキリと父母の分骨の十代墓(写真手前)と断定したのは,竹内巨麿・酒井勝軍らであり,翌年,祖母山根キクが詳しく調査してその話を世に出した.ちなみに「日本で死んでいる」では,キリストは十和利山に埋葬されていると書かれている.今では十字架が建てられて,すっかりキリスト教的な雰囲気.高台にあり,しかも周囲は明るい木々に囲まれているので,とても気分が落ち着く.ずっといたい気になる.
墓所の奥に沢口家と新郷村の第三セクターによる伝承館がある.受付の婦人は,沢口家の分家だそうで,祖母の「キリストは日本で死んでいる」を読んでいる最中だった.そこへその著者の孫が忽然とやってきたことになる.

館内には,新郷村の習俗も紹介されており,この地では赤子の額には十字を入れていたという祖母の記述通りの展示があった.

キリスト祭りは翌日なので,今日と明日の宿である新郷温泉館に向かった.

6.新郷温泉館

新郷村営の温泉宿.近くにあった立ち寄り湯から引湯して,一緒に客も引っぱってきている気がする.
よくある村営の日帰り温泉に宿泊施設もくっつけたという雰囲気.チェックインは16:00,アウトは9:30,まさしく保養所だ.確かに室内はアルミサッシの大きな窓,テレビ・エアコンだけで,床の間もロッカーもない.室内のテーブルも会議用の長机.あの「サイクリングセンター」にも通じるほどの完璧な官営保養所風情.
風呂はサウナに寝湯・薬湯・露天などもあるが,石鹸・シャンプーはないので地元の立ち寄り客は持参している.スーパー銭湯的だ.泊まり客には,タオルと歯ブラシのほかは,ホテルにあるような1回用のシャンプー・リンスの袋,それに小さな石鹸が毎日つく.バスタオルはない.脱衣場にドライヤーもない.洗面所にはごみ箱がない.でもこれで2食付6000円だ.文句はいわない.夕食は,刺し身,山菜2皿,川魚の塩焼き,茶わん蒸し.野菜やキノコ,イノシシが入ったコンロ,それに韃靼そばが半人前つく.朝はてっきり生卵かと思ったが,なんと温泉卵,それに納豆もついた.残念ながら2泊して2日とも同じ献立だった.ここには連泊者はいないようだ.でも6000円だから文句はいわない.ただ困ったのは,食事のあとにお茶が出ない(水すらも).
宿のレベルとしては丁度,南信濃村の「せせらぎの里」と同じ.だが風呂は新郷の勝ち,部屋は同点.食事もほぼ同点だが,おいしい「二度芋」の分だけせせらぎの里が上か.
テレビはNHK以外は民放3局しかはいらない.山中というほどではないが携帯電話も圏外!

 

7.キリスト祭り

伝承館受付の女性から,祭り関係者や村長にも紹介してもらった.そして急きょ,来賓席に坐らせてもらった.正装で名札を下げたいかめしい人々の中に,ポロシャツにVTRカメラを持った姿は場違いだが,まぁ,縁故がある人間の一人(他に墓守の子孫沢口氏も列席)だからいいだろう.

祭りは,けっこう儀式的で,村長挨拶から始まって,鎮守の三嶽神社(?)の神官が重々しい祝詞を唱える.墓前のキリストを神道の神主が祈祷するというおかしな風景(竹内文献によればおかしくない).次いで村長から始まってお歴々(地銀の支店長やJR東日本の駅長までも)の玉串奉奠.地元の獅子舞奉納(バリ島のレゴンを思いだす).そしていよいよ,キリストの墓前でのナニャドラ踊り.とても単調な繰り返しで,南部地方一帯に拡がった踊りの原形である雰囲気.「ナーニャードヤラー,ナーニャードナァサァレノー ナーニャードヤラー」と歌っており,土産の湯飲みにもそう書いてあるが,正確には,「ナーニャードヤラヨ,ナーニャードーナァサァレダーデサイ ナーニャードヤラヨ」という.この意味不明な歌詞は,川守田という神学博士によれば古代ヘブライ語で,「御前に聖名をほめ讚えん 御前に毛人を掃蕩して 御前に聖名をほめ讚えん」という意味なのだという.ちなみに南部地方の伝説では,この歌はこの地を訪れた南朝の長慶天皇が作ったともいわれている(南朝伝説も竹内文献と無関係でない).

こんな短い歌詞の単調な繰り返しだから,どうやって終わるのかといえば,祭りの進行係の人が太鼓のたたき手に「そろそろ」と伝えると,太鼓が音を抜く,それでちょっと遅れて踊りが終わる.

 

8.「キリスト伝説」の本質

キリストが日本に来たというだけなら,一種ロマンのある伝説だが,これを伝えている竹内文献においては,キリストの話は,単なるエピソードの一つにすぎない(モーゼや釈迦,マホメットも来日したというのだから).キリストが日本に来た目的は,天皇の元で修行するためだという.竹内文献の本質は,天皇家を人類の上にたつ絶対神(創造神)にまつりあげようとする,ウルトラ皇国史観である.青森の「キリスト伝説」は,西洋人が崇拝するキリストも天皇の弟子だったという点がポイントなのだ.この「伝説」が作られた1935年の日本において,これは徳川幕府を倒す論理とされた,天皇が日本全土を支配する正当性を単純に敷延して,日本が,大東亜共栄圏どころか全世界を皇民化する荒唐無稽な論拠をつくるものであった(ヒトラーのアーリア人神話やムッソリーニのローマ帝国復活に対抗する神話の創造だ.ただあまりの荒唐無稽さに政府・軍も取り合わなかったが).この塚を「発見」した一人,酒井勝軍(ピラミッド日本起源説,日ユ同祖説の提唱者)は,日本人に近縁のユダヤ人をまずは皇民化させて,エルサレムに日章旗を翻えらせることを夢見ていた.
ちなみに新郷の地元では「発見」された当時から,大喜びで観光名所にしてきた.そこではあくまで話をキリストの渡来に限定して,その来訪目的である天皇主義など微塵もみせない無邪気なものだ.それでもキリスト教にとっては十字架での刑死と復活を否定する冒涜的なものだと思うが.

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