正しい正月の迎え方

正月は年中行事の中で最も重要である。伝統とは無関係でも、一年という大きな公転周期を経過し、新たな周期に入ることを味わうことは今でも意味がある。地球に生きる身として正月くらいは神妙に時を迎えよう。ただ本当なら正月は旧暦で迎えるべきである(中国は今でも春節として旧正月を祝う)。なぜなら、旧暦であれば、立春間近の正しい意味で「新春」を迎えることができるから。新暦だと冬至が過ぎたばかりの厳冬期で、季節感がずれてしまっている。

屠蘇初詣年賀状


松飾り

松飾りの意味

門松は冬のさなかの常緑樹として、歳神=春を迎え入れるためのもの。冬にあえて常緑樹を飾るのは西洋のクリスマスツリーも同じ(クリスマスは元来は冬至の大祭で、それがキリスト教と結びつけられたものである。ヨーロッパではキリスト教以外の異教的行事は禁止されたから祝日はすべて聖人の記念日とされた)
節分(本来は大晦日の行事)に飾る柊(ひいらぎ)も常緑の広葉樹として春をまちわびる。だからクリスマスにもヒイラギなわけ。東洋の正月と西洋のクリスマスは実は近い関係なのだ。
ちなみに欧米ではクリスマスは家族ですごし、大晦日は恋人や友人たちとカウントダウンする。日本では、クリスマスイブは恋人たちとすごしても、正月は帰省してまで家族と過ごす。その意味でも東洋の正月=西洋のクリスマスといえる。

江戸時代以降の門松は、見栄の競争で巨大化してはっきり言って竹が主役になっている。あれじゃ「門竹」だ。松は竹より格上なのだから、松だけで充分。三枝の松を門の左右に飾る(本来なら左右差があるのだがそれは無視していい)。古代中国以来、表敬の度合いが高いほど装飾を落としてシンプルにするのである(ドレッシーはフォーマルより格下)。

いつ飾るか

飾るタイミングは、30日までに。31日では一夜飾りといわれて、お迎えする歳神様に対して敬意が足りないことになるという。前であればあるほどいいのだが、前になるとクリスマスがあるし、早すぎると正月が来る前に壊れてしまうので、まぁ年末であればよいだろう。29日だと「九松=苦待つ」と言って嫌う風習も民間にあるが、本来の伝統儀式が俗信的語呂合わせに影響されるのはよくない。こういう迷信的縁起かつぎ(特に「仏滅」などの六曜)は、伝統行事の品格を損ねるので排除していきたいものだ。

水引は不要

最近、鏡餅に水引を巻いたのが出回っているが、水引を縁起物と勘違いしているようだ。水引は贈答用の包み物を閉じる飾り紐なのである。祝儀だけでなく葬式の香典や法事の包みにも用いるのであるから決して縁起物ではない。江戸時代の末頃から、正月用の箸包みなどに水引を結ぶ行為が出始めたが、包みなら水引は許容できる。床飾りに水引はナンセンス。もっとも、飾り物に装飾をほどこしたい気持ちは分からないでもない。実際、床の間に飾る本来の鏡餅(具足餅)は、正月飾りの装飾がされる。そもそも鏡餅は白二段ではなく、紅白の二段なのだ。


除夜と元旦

大晦日から初日の出:江戸時代の庶民は大晦日の晩は寝ない。だから「除夜」という。年越しそばを食べ、除夜の鐘をついたら、(だいぶ間があるけど)初日の出を拝む。そして元日はひたすら寝て(寝正月)、二日から正月行事をしたという(だから初夢は二日の晩の夢とされた)。ちなみに年越しそばは、月末に食べていた「晦日そば」の名残り。
除夜をしない 武家や公家では元旦から儀式があった。四方拝は天皇だけのものだが、元日節会で宮中や殿中に出仕した。

さて、現代人も元日の朝(すなわち元旦)起きたら、「若水迎え」をしよう。輪飾りをつけた蛇口から新年の水を汲むだけなのだが。気分だけは新鮮にしてそれで顔を洗い、お茶を入れる。


屠蘇

三が日の朝は、家庭でおせち料理を食べると思うが、すこし神妙になって正月らしい儀式を遂行してほしい。「式三献」である。
家族全員が食卓に集合したら、正月の儀式として屠蘇を式三献の手順で飲んでほしい。なぜなら、日本では祝い事には必ず式三献(三三九度)の儀式をしたのである。つまり式三献は儀式の定番であった。しかし現代では神式の結婚式以外にはなかなか体験する機会がない。このままでは式三献の伝統がすたれてしまうので、正月の神聖な気分を演出する意味でも、ぜひ家庭で毎年実行してほしい。

屠蘇のセッティング

屠蘇を飲むには、寒鍋銚子と屠蘇三献という大中小の盃のセットを用意する(デパートで売っている)。屠蘇のエキスである「屠蘇散」は年末に薬屋や酒屋で売っている。それを大晦日に酒かみりんとともに銚子に入れ、一晩つけておく。

式三献には飾りの祝い肴(食べない)を用意するもので、正月ならば、数の子(子孫繁栄)、黒豆(マメで達者)、田作り(カタクチイワシ、田の肥料で豊作祈願)が適当である。もちろん飾ってもよいが、内容がおせちとだぶるので、おせち料理を出した状態で祝い膳は省いて始めてもよい。同じ盃で回し飲みをするので、杯洗用の水をいれた器(ボウルのようなもの)を用意する。

式三献のやり方

家族での式三献は幼長の順で飲む。家で一番年少の者に最上段の小さい盃を取らせる。屠蘇は子の成長を祈って親が注ぐとよい。三回に分けて注ぐ(もちろん儀式なので少量でよい)。儀式的に三杯注いだことにするためである。それを三口で飲む。こちらも三杯飲んだことにするためである。飲んだら杯洗で注ぎ、次の年少者に渡し、これをくり返す。最後は一家の長老が飲む。親には子が長寿を祈って注ぐとよい。
一順したら、二番目の盃は、二番目に若い者に与え、そこから一順する(最後に一番若い者になる)。三番目の盃は三番目に若い者から一順する。すなわち、一人当たり三杯形式で三回、形式上計九杯飲んだことになり、これで三三九度の式三献(略式)をやったことになる。

わが家ではこの式三献が終わったら、最初の小さい盃に屠蘇を入れ、亡父の遺影に捧げる。
最後に、全員で「おめでとうございます」と言って、この後はくつろいでおせち料理を食べる。これを三が日の間毎朝実施しよう。


おせち料理

おせち(御節)は「おせちぶるまい」の略で、節供(せちく;節日に用いる供物)のことである.本来はお重に詰めるのだが、デパートのおせち料理はなぜか三重ばかり。あれは正しくない。正式には四重である。たぶん伝統を知らない人が”四”重だと縁起が悪いと勝手に解釈して、三重にしたのだろう。しかし四重は「よじゅう」と読む(与重とも書く)ので、語呂では問題ない。

四段にはそれぞれ入れるものが決まっていた。上から一の重は口取り(甘味)を入れ、二の重には焼物、三の重には煮物、与(四)の重には酢物を入れる。料理は奇数個(陰陽和合のためか)ずつ隙間なく詰めるというが、今では家族の数でよい。また中身も好みなものにしないとすぐ飽きがくる.

実は我が家は重箱ではなく、お節用の塗りの大皿に盛る(その方が見た目が楽しい)。だから無理に四重でなくても実際には三重でも二重でもかまわない。ただ、本来は何が正しいかは知っておいて、それをもとに好きなようにふるまえばよい。くれぐれも、おせち料理は「デパートの三重が正しい」とは信じないようにしてほしい。

雑煮

雑煮の由来は諸説あるがいずれも中国伝説のこじつけ的なので無視してよい。餅は本来は丸である(鏡餅が丸いように)。しかし関東では四角。これはついた餅をこねるのではなく、のばして切るようになったからだろう(切り餅)。でもなぜ? 鏡餅は鏡開きの時でも切らないのだ。そもそも丸は陽で四角は陰だ。そして白は陽。つまり丸い餅は陽の適合を意味し、四角い餅は陰陽の和合を意味するのだろうか。

四角い餅で育った私には、四角の方が持ちやすく食べやすい。餅で一番おいしいのは海苔を巻いた「いそべ」だが、これは四角い餅でないと海苔がきれいに巻けない。雑煮の中身は雑煮というくらいなのだから地域差や個人の好みがあってかまわない。雑煮であっても餅は焼いたものを入れた方がうまい。


初詣

伝統的には「恵方(えほう)詣り」といって、その年の吉方(明けの方)の神社に詣でる。松の内にすればよい。ただし無理に恵方でなくとも、地元の鎮守・信仰する社寺に行けばよい(武家は方位の迷信をもたない)。
参拝の前に、境内の手水(ちょうず)で、柄杓を取って左手を清め、柄杓を持ち替えて右手を清め、再び持ち替えて水を左手で受けて口を清める(柄杓に口をつけない。また手水の水は飲むものではない!)。

賽銭を入れ、鈴を鳴らし、「二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)」で参拝し、礼は直角の最敬礼にする。最近は手水も参拝も作法を知らない人だらけなので、たいていの神社には作法が貼ってある。

年始まわり

お世話になっている目上の所に「今年もよろしく」と挨拶まわりするのが、年始まわりである。この場合はただ挨拶だけですませるようにする(互いに「年賀」の品をやりとりする)。それでも互いに面倒になったため(確かに!)、近所の相手でも書状ですませるようになった。年賀状である。


年賀状

年賀状は遠方の知人に年始挨拶のかわりの書状で、明治以前はもちろんハガキでなかった。年賀状は正月になってから書くべきか、正月に着くように書くべきか。多くの人は後者であろうが、前者を通している人もいる。正月を迎えていないのに謹賀新年と書けるかという、その気持ちもわかる。ネットのメールだったらタイムラグがないので、この問題は解決する。でもメールよりは賀状の方がもらってうれしいのは確か。

ただしパソコンで大量に印刷した事がありありの賀状は正直うれしくない。とくに宛名をデータベースからプリントアウトしただけというのは誠意が感じられない。裏面は印刷でも、宛名は直筆(できたら筆で)にした方がよい。さらに裏面も単に定型句やイラストだけというのも、それに芸術的価値がある場合のほかでは、挨拶として素っ気ない。近況などを一筆加えるべきだ。その意味で最もむなしいのが、法人からの営業用の賀状(両面完全印刷)。別にこんなの出さなくても商売に影響はないのに。せめて代表者名を記して、”個人”が見えるものにしてほしい。


七草粥

七日は、ほとんど忘れられているが「人日(じんじつ)の節句」というれっきとした節句である.だから前日の六日までが「松の内」で、正月気分は終わりにする。七日は七草粥を食べる(たいしてうまくないが).春の七草は.「セリ・ナズナ、ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ。スズナ・スズシロこれぞ七草」と覚える.

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